21年目の灯り
21年が経った
昨日、神戸の三宮にある東遊園地に行って
竹の灯籠のところで
黙祷してきた
竹には
未来
祈り
などの言葉が書かれていたりもしたけれど
下の方に
亡くなった方の名前であろう文字が
それぞれにあった
21年前
神戸の元町に住んでいた私は
このうちのどなたかと会っていたかもしれないし
会える未来があったのかもしれない
人が
生きて
死ぬ
ということを
二十歳になってない私は
あの頃どのように受け止めたのだろう
人生で初めて経験した
どうしようもない虚脱感
なにもできないくせに
体重だけが落ちていった
何をやっても痩せなかったのに
1ヶ月で10キロも痩せた
追悼式の
竹の中で灯る火を見ていたら
大事な人をなくした方々は
癒えることなどなく
21年を
なんとか
奮い立たせて生きてきたんだと
そう思うと
灯りが
亡くなった人と
それを想う人と
ふたつの炎にみえた
先日、友人が急に
この世を去ってしまったというのもあり
なんともいえない想いで
グレーの空を見上げました
なーんで
私はここにいるんだろう
なーんで
こんなふうにいきているんだろう
なーんで
なんでだろうねぇ
そんなときにふと
『難しいことは かんがえんほーがええよ 今日がきたら、ありがとう。それだけよ。』
まあるい
おまんじゅうみたいな
やわらかい
ばぁちゃんの声がきこえます
今日がきたよ
なんか、やらんといけんね
アンテナのばして
今日もね