あの日から70年

昨日夜中に
NHK
被爆70年」
というスペシャル番組を放送していた


明日で、70年か


と、思いながら見ていると

五日市高校の生徒たちが
被爆した方々にインタビューして
生徒たちに伝えていく

というものだったのですが

その被爆者の方というのが

当時、学徒動員で
広島電鉄家政女学校に通っていた女学生が、戦争に駆り出された広島電鉄の社員さんの代わりに
まだ10代の学生が
車掌をしていたのです。


私の祖母も
その一人でした


証言をしている被爆者の方の

当時の
広島電鉄家政女学校のクラス写真のようなものが映り

そういえば、この方は祖母と同い年だなぁ
と、思っていたのですが


多分、祖母ではないかと思われる
女学生が一瞬映っていました


私の母の小さい頃に似ていました


一瞬のことでしたが

なんとなく
語っていた被爆者の方の名前に
聞き覚えがあったのと

なんとなく
の印象ですが

祖母だと確信しました


まだ、15歳の頃に
祖母たちは
こうして
働いて
働いて

そして

突然、原爆が落とされた



祖母は、広電の本社のコンクリートの中にいて
奇跡的に助かりました



いつも


「こんなに、生かしてもろうて」


これが、口癖でした


亡くなる時にも

「こんなに生かしてもろうたんじゃけ、ありがたい」


そう言っていました




それだけ


地獄のような

毎日を

まだ10代の娘だった祖母たちは
生きてきたんだ




だから


生きることに対する執着よりも


死んでいくものに対する弔いの意識という方が


強かったのは



あの日を境に
変わったのだと
想像します

普通に生活をしていた人たちの
毎日が


ロウソクを吹き消すように

一瞬でなくなってしまう

現実を知っている祖母のことばは
いつも
饒舌でなくとも
重みがありました




一瞬

祖母の女学生時代が
テレビに映り



祖母の人生を


そして


祖母の生きた風景を
想いました



知らないことは
まだまだたくさんある


そして

経験した人たちが少なくなってるからこそ


想いをつなぐ


これは、大きな役割だと
思った


あの日から
70年。