感じること

寒い広島に帰省しております




帰ると、いつもは仕事で忙しい母が
定年を迎えたので
毎日家にいる


当たり前の事なんだけど
朝起きたら
母がいて

朝ごはんを用意してくれて
ラジオを聴きながら
ああでもない、こうでもないと
話がつきることなく


朝から大爆笑することも多々ありつつ


あっという間に
時はすぎる



毎日忙しい日々を過ごしていたので
家にいるのは
少々落ち着かないのでは?

と思っていたけれど


なかなか出来なかった
お習字も
必ず毎日書くようにしていて
亡くなった祖父のセピア色に染まったお手本を引っ張り出して

背筋伸ばして
筆をとる





元々、母は祖父に似ている


顔もだし
仕草や
ちょっとした癖

そして

やはり、美しい字を書くというところ。


歳を重ねて
さらに、似てるなぁ


と、思っていたけれど




今日の書に向かっている時の母を見て


ナット・キング・コールと、ナタリー・コール
Unforgettable

を思い出した





まるで


娘の手をとり
上から祖父が
一緒に書いているようだった



母はそんな感覚はないかもしれないが


わたしには
そんな風に見えて



今ここに祖父がいなくても



母の中にいる
祖父を強く感じて



命の不思議と

そして


みえないバトンというのは
こういうことなんだな



と、ストンと腑に落ちた。




おはぎ姉妹のもう一人
母の妹は


祖母の雰囲気をとても受け継いでいて


人に愛される
可愛い人である



祖父と、祖母が
二人の娘たちを


どこにいても
いつまでも


包んでいるのだ




そう思うと


いつかは

私も
この肉体とはさようならするときがあるのだけど



うっかり者で
眉毛の生え方がそっくりな
のんびり大好きな子どもを


包んでいられる気がする。



ずっとね。



そして、子どもが
自分の中に
私を、感じる瞬間がある時って



ほんと、くだらない間違いとか
うっかり、何か忘れた時なんだろうな。


もっと、いいもの、
残さないと!
と、少し焦る。




無理か(笑)