短編「におい」

今年の夏は、物語を一つ書こうと。
それを、自分への夏の宿題とした。
やはり31日まで仕上がらなかった。
幼い頃から、成長していない。
でも、一応期限内に出来たのは良かった。
フィクションの物語です。
ちょっと長いですが、よかったら。


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「におい」




去年私が植えた朝顔
また咲いていると思っておばあちゃん家の玄関の扉を開ける前に
砂利がしきつめてある庭に通じる細い道を通ると
嗅いだことのある懐かしいにおいがした
ここのにおいが
いちばんおばあちゃんの家に来たって感じがする



前から置いてある
猫避けの
汚いペットボトルに
おばあちゃんは油性ペンで
大きな目を描いている
消えかかったらかならずまた描く

中の水は随分、濁っている気がするが
それを替えようとはしないのはなぜ?
と、聞きたいけど
なんとなく答えはわかっているから聞かない


砂利の道をぐるりとしたら
小さな庭にたどり着くその角に
私が植えた朝顔

お母さんが
「私も小学校の頃にここに植えたけど、何年も、勝手に咲いてた」
と言ったから
それを真似て
私も夏に必ず帰るから、その楽しみに
と、植えたのだ

今年も絶対に咲いてるはず
ワクワクしながら曲がった角には
あるはずだった朝顔はなかった

まわりを見渡しても
朝顔らしきものはなく

少しだけ怒りがわいてきて
玄関にもどって
ただいま
よりもさきに
おばあちゃんに文句を言った


「ねぇ、私の朝顔は?」

おばあちゃんは
台所で何か作っているようで

ものすごい大きな声で

「おかえりー!なに?なんてゆうたん??」

お醤油のにおいをぷんぷんさせた空気と一緒に
パタパタとスリッパの音をさせて
一年ぶりのおばあちゃんは
やっぱりどこで仕入れたのかわからないような「すっとんとん」と、名付けられた
ズボッとかぶるタイプの服、というより、お風呂屋さんによくいる人の格好をして
私の腕をぐいっとひいて
ぎゅーっとだきしめた


おばあちゃんの肌の匂いは
お母さんと似てるようで、似てない
ちょっと食べ物に近い匂いがする
大好きな匂い
ちょとだけスイカの匂いがするときもある


その匂いに
ニコニコしたけど
すぐに思い出した

「ねぇ、おばあちゃん、私の朝顔、なくなってるんだけど、なんで?!」

少々怒り気味に訴えると
眉間にシワを寄せて

それはね


と、言いかけて
「あ!」と、大きな声をだしながら
台所に戻った


予想はつく
お母さんと同じだから

血は争えないな

私も大きくなったら
よく焦がす人になるんだろうか
それだけは避けたいな


お母さんは
食パンを魚グリルがイッチバン美味しく焼ける!と言って
ほぼ、毎回焦がし
包丁で、焦げた部分をこそげとって
お皿に申し訳なさそうに置くのではなく
ほら、綺麗に焦げたところ取れたでしょ?という
謎すぎるどや顔でパンを置く

もう、いいかげんトースター買おうよ
と言ってみるけど

お母さんにはまったくその声は届かない


焦がしがちイズDNA・・・



そんな事を思いながら
玄関上がって
一番最初に
大きな仏壇の前に行く

お母さんは私より先に
買ってきた
大量の水羊羹をピラミッドのようにお供えしていた



お盆の時期にしか出さない
灯篭に
電気が入ってる


水色の光がくるくるとまわって
どういう仕組みなのか
下からブクブクと泡がでてくる
水の中にいるのは好きだけど
まったく泳げない私にとっては
この灯篭を見ているだけで
そう、これこれ!これが味わいたいの!
という気分になって
仏壇に手を合わせるのを忘れて
じっと見ていた

お母さんと遺影のおじいちゃんは
似ている


姿形そのものが、おばあちゃんっていうよりも
おじいちゃんに似ていて
顔の中でもひときわ二人とも眉毛が自己主張してる感じ









お母さんは、私のお父さんと結婚する時に
おじいちゃんから結婚を大反対されて
そこから口をきかなくなって
おじいちゃんが死んでからも
お母さんはどことなく
まだおじいちゃんに怒っていて
お葬式の時にも
一粒の涙も流さなかったのよ。強情ね。
と、お母さんがいない台所で、
毎年のようにおばあちゃんは私に話した



お母さんがお父さんと離婚して
私と二人だけになったから
いよいよお母さんの
強く生きる気持ち
というのが、暑苦しいほどになっていったのは

小学5年にもなった今の私には
少しだけ理解はできる


台所でおばあちゃんとお母さんが
大きな声で煮物がどうのこうのと話している


あ、忘れていた


私の朝顔


「おばあちゃん、朝顔なんであそこの場所に咲いてないの?」

「あ!ほーよほーよ、あれはうちが悪かったんよ」

謝るおばあちゃんに被せるように、
お母さんが呆れた顔で言った
「お母さん、どうぜ、朝顔って忘れてて、除草剤でもかけちゃったんでしょー」



「違うわいね、あれはおじいちゃんの教えを守らんかった、うちの責任じゃけ」




え?と、私とお母さんの声がハモった



「教えも何も、私の時にはただ、単純に朝顔が咲いて、種ができて、勝手に散って、次の年にまた咲いてたじゃん」
母の眉毛がぎりっと上に上がった


「うちも、毎年、そう思っとったんじゃけどね、あれは、お父ちゃんが
あんたが植えた場所は、土が固いけえ、種がちゃんと土の下へ行かんけえ、芽がでるまでは柔らかい土のところで
育ててから、植え替えとったんよ。それに気がついたんが、もう毎年勝手に咲いとる思うて、5年くらい経ってからかね」




と、おばあちゃんケラケラ笑った





お母さんの方を見たら
ぎりっと上がった眉毛がなだらかな滑り台みたいになっていた

おじいちゃんは、そのこと、お母さんに言ってなかったんだな

でも、おじいちゃんがどうしてそれをやめてしまったんだろう
だって、おじいちゃんが死ぬ前まで、その行為が続いてたなら、朝顔はずっとあの場所で
咲いていたのに



ふと疑問に思って
おばあちゃんに聞いてみた




するとおばあちゃんは、これまた豪快に
テーブルをバシッと叩いて

「そうななんよ。謎じゃろ!」




と、私にクイズに答えろと言わんばかりに
口の端を上にあげた

「それが、さっき、言われた通りなんよ。。
朝顔の植え替えの前に、その場所にうちが、
野良猫がよう来るけえ猫よけの薬を撒いたんよ。
そしたらお父ちゃんがえらい怒ってからね。
そんなことをしたら、もうそこにはしばらく
朝顔は植えられんじゃろーが!ゆーてから、
それからは、しばらく、そこの土をよくするために
毎年、ようわからんけど
お父ちゃんが土の手入れだけをするようになってからね」



「でも、じゃあさ、もう、去年朝顔咲いたってことは、土が生き返ったってこと?」



「ほーよ、そういうことよ。ほいじゃけど、うちが、植え替えのことすっかり忘れたけえ、種が雨で流れたんかねえ。
すまんことしたねぇ。ほいでも、ちょっとまっとってよ」

と、仏壇の下の小さな引き戸の中からおばあちゃんが小さな袋を持ってきた



「こんなかに、まだぎょうさんあるけえ。来年、また咲かせようや」




小さな巾着の中に
朝顔の種がお手玉みたいにザラザラとたくさん入っていた




この種、もしかして
と聞くその前におばあちゃんが

「この種、ぜーんぶ、あんたの朝顔のんじゃけ。お父さんが毎年、丁寧にとって、この中に入れよったけ。」
と、お母さんの方を向いて、強めの声で言った




お母さんは
それに対してウンとも、スンとも言わず
眉毛に力を入れて
顔を硬くしていた





おばあちゃんは、何事もなかったように
私の前のコップに麦茶を入れて
隣のおばちゃんのくしゃみの音が大きくてたまに、おならも一緒に出るのが
聞こえる!と笑える話をしてきたので
麦茶を吹いてしまった



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私は夕方になっても
なんだかこの朝顔の種袋を眺めていた

お母さんが育てていたつもりの朝顔
本当は、おじいちゃんが手をかけて、育っていたんだな
そして、今、おじいちゃんはいないけど
去年咲いた朝顔はその想いのカタマリみたいじゃないか
お母さんはおじいちゃんに
今、どんなことを思っているんだろう

聞きたいけど
お母さんの顔を見ると
眉毛からそのことは聞くな!と言ってるみたいで
聞けなかった



夕飯になって、おばあちゃんの出してくれた料理は
全部色が茶色で、どれもお醤油の味がして
でもすこぶる美味しかった


お風呂に入った後で
イカがあるよ
と言うから楽しみで

お風呂から出て
さっさと台所に向かうと

台所と廊下をつなぐところに
さっきまでなかった暖簾がかかっていた



「あれー、おばあちゃん、これどうしたの?」

「そこ、ずっと、その暖簾かけとったんじゃけど、
しばらくしとらんかったけえ、
今年は出してみようか思うてね、
すごい古いんじゃけど、洗うとるけえ、綺麗じゃ思うよ」



へぇ、と暖簾をふわりとくぐって
大きく切られたスイカに手を伸ばした





おばあちゃんはすぐに塩をかけろと言うけど
私はかけないの!とそのままスイカを手にとって
シャオ
っといい音をさせながら食べた

「じゃ私、お風呂もらうわ」

と、台所からお母さんが暖簾をくぐって廊下に出た瞬間に


「ひ」

と、大きな声がした

何かあったのか
と思うより早く、私は左手にスイカを持ったまま
右手で暖簾をくぐったら

お母さんの背中が小刻みに震えていた


「どうしたの、お、お母さん、虫?何??」

背中から真正面に行くと顔を手で覆っているけど
手首のところから
廊下にポタポタと、涙がこぼれ落ちていた


どうしたの
どうして泣いているの

とオロオロしていたら
おばあちゃんがやってきて

とにかく二人でお母さんを台所の椅子に座らせた


お母さんは、

私が学校で嫌なことがあって、
でもなかなか言えなかったとき

仕事から帰ってきて
暗い顔してる私に何かあったと気が付いて
お風呂場でお母さんにシャワーを頭からかけられて
「これでわからんから、涙、全部流しなさい」
と言われてマンション中に響き渡るんじゃないかっていうくらいの声で
泣いた時と同じくらい、

目の前のお母さんも
あの時の私みたいに
子どもみたいに
大きな声で泣いた



ひとしきり泣いた後に

おばあちゃんの耳元で
コソコソっと何かを話して

私の頭に手を雑において
「お風呂で流してくるわ」と、眉毛に力を込めた顔で言った


お風呂から水音が聞こえてきて

おばあちゃんは

「ほんま、素直じゃないけえ、急にダムが壊れたみたいになるねえ、あんたのお母さんは」

と笑った

「さっきの、朝顔の種のことで、
急に、何かを思い出したのかな?」



「暖簾にね、おじいちゃんを感じたんよ」



「え、暖簾に?これ、おじいちゃんが作ったの?」

「いや、そんなんじゃのーてね、あんたはまだ身長がそこまでないけえ、ちょとおいで」



と、おばあちゃんは私を暖簾の前まで連れて行って
っよっと、私を重そうに少しだけ、上に持ち上げた

「ここの暖簾の匂い嗅いでごらん」

言われるがまま、くんくん、と匂いを吸い込む

なんか、知ってるような、知らないような、布の匂いではない、何かの匂いがした


変な柔軟剤の匂いだな、と思ったら

「ここにね、おじいちゃんの匂いが残っとたんじゃね」

「でも、おばあちゃん、洗ったって言ってたよね」

「ほーよ、洗うたんじゃけど、おじいちゃんがね、髪の毛にポマードっていう髪の毛を固める、
油の練り物
みたいなのを、つけとったんよ。
油性じゃけえ、何年も、何年も、洗うても、
蓄積された、油の成分が、布に残ったんじゃろね。
くぐる時、おじいちゃんは、手でのれんを横にわけんと、
そのまま突っ込むけえ、
髪の毛があたるんよ。暖簾に。
あんたのお母さん、さっき、暖簾くぐったときに
この匂いを感じたんじゃと。
おじいちゃんが、ここにおる気がしたんかね。
ありがとうも、ごめんなさいも、
言えんままお別れになったけえ、
ブワーッと固まっとたものが、溶けて、涙が止まらんかったんよ」


その日のお母さんの風呂は
信じられないくらい長風呂だった



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夏休みはあっという間に終わりを告げようとしている


ずっと、ずっと
おばあちゃんの家にいたいな
と言うと

ぎゅーっと私を抱きしめて
またいつでも帰っておいで
と、一瞬、ふと私を上に持ち上げて
「ばあちゃん、まだまだ元気だから!」と笑った


じゃあ!と、玄関のドアを開けようとしたら
お母さんが
急に靴を脱いで

廊下をまっすぐ歩き

あの暖簾の前で
顔を近づけて

大きく、暖簾のあの匂いを吸い込んだ



おばあちゃんが
少しだけ
私に目で合図をした




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新幹線の中で
お母さんはずっと黙って変わりばえしない景色を見ていた


私は
半袖から出るお母さんの肌に顔をつけて

大きく匂いをかいだら
ちょっとだけ
イカの匂いがした