母の日とミヨちゃん

5月の風は気持ちいい



ご無沙汰しています

本日、背番号45になりました。仁井です。



たくさんのお祝をいろんな形でいただきました

ありがとうございます


この歳になって・・・お祝いなんて・・・


なんて、気持ちはこれっぽっちもなく




みんなに一年に一度

こんなに

持ち上げられてもいいじゃないか!ビバ!!!



と、思っています

なので、アホみたいに、嬉しく小躍りしています



さて


久し振りの投稿は

今年の母の日のこと。




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毎年くる母の日


実家の母に、今年は何を贈ろうか

いつも、だいたい決まってる。



でも。。。。


今年は


70歳という節目でもあるし

何か、もっと違うものを。。


何が欲しいだろう

何が食べたい?見たい?触れたい??

と考えているうちに





ふと

母の会いたい人のことが頭をよぎりました





それは母の唯一の親友「ミヨちゃん」のことでした



ミヨちゃんは、ちょっと前に天国に召されました



亡くなったお知らせを、ミヨちゃんのご主人から聞いて

母はとても悔いました



なぜ、生きているときに会いに行かなかったんだろう。と。





ミヨちゃんとは、母が30代、名古屋に住んでいた頃に出逢いました

向かいのマンションに住んでいたミヨちゃんは

いつも、ひまわりのような笑顔の人で


母の隣で豪快に大きな口を開けて

笑っていた印象があります



ミヨちゃんが郊外に家を建て、向かいのマンションから引越しをしてしまって

頻繁に会えなくなっても


私たちが名古屋から広島へ引っ越しをするときにも

手伝いに来てくれました







広島と、名古屋









遠く離れてしまって

年賀状のやり取りをすることくらいになってたとしても


母の心の中には

いつもミヨちゃんがいました







母の30代は、決して楽しいことばかりではありませんでした



でも、苦しみを外に出すのが苦手な母の代わりに

いつもミヨちゃんが

言葉に出して、母の想いを

ちゃんと対峙させてくれた人です



母は、会えなくなっても

ミヨちゃんから、いつももらっていた

笑顔や、行動や、言葉に

助けられ続けていました





そんなミヨちゃんが、この世からいなくなってしまったことは



母にとって

とても、辛く、さみしく、悲しいことであったことは

たやすく想像できました





そうだ


今からでも、ミヨちゃんに

会いに行けばいい



そう思って、兄に連絡しました

「今年の母の日は、兄と私で、お母さんをミヨちゃんに会わせてあげようよ」




兄も、時間を作り

二人で計画を練りました



ミヨちゃんのご主人にも連絡がとれて


会いに行けることになったのです





三十年以上ぶりに

ミヨちゃんのお家にお邪魔しました




仏壇の隣に

ミヨちゃんの笑顔の写真



母は静かに泣きました





そして

泣きながら、笑顔で



やっと、会えた



といって

写真を撫でました
















ミヨちゃんが、母のことをどう思っていたのかはわかりませんが


ご主人が

「ミヨは、いつも、あなたのことを話していたよ。本当に、好きだったんだね」


と、おっしゃってくださって

本当に、この二人は、とても強いつながりがあったんだなと思いました






母と、ミヨちゃんのことを想うと




どれだけ一緒にいたか

思い出を共有してきたか

ではなく

心から

尊敬し、相手を慮る気持ちだけで

人と人は、こんなに強く結ばれるんだな



と感じます






一生に、たった一人




こんなにも思い合う

友に出逢えた母は



幸せだ







ミヨちゃん、母に出逢ってくれてありがとうございます




遠い、いつか

また母と




苦い話も

笑い飛ばしてやってください


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